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2015年10月21日水曜日

圧倒的努力

自分が好きな、
幻冬舎社長・見城徹さんの『たった一人の熱狂』の中の一文です。




「努力することに意味があるなどというのは単なる人生論であって、
仕事に関して言えば「成功」という結果が出ない努力に意味はない。


いや、そう考えるしかないのである。

僕の口癖は、「これほどの努力を、人は運と言う」だ。


幻冬舎からベストセラーが出たり、新しい事業が成功すると、


「運がいいですね」と言う人がいる、
そんなとき、僕は「おかげさまで運がいいんですよ」と返しながら心の中で舌打ちする。


「オレはあんたの100倍血を流し、努力しているのだ」と独りぐちる。


圧倒的努力とは何か。


人が寝ているときに寝ないで働く。
人が休んでいるときに休まずに動く。



どこから手をつけたらいいかわからない膨大なものに、手をつけてやりきる。
「無理だ」「不可能だ」と人があきらめる仕事をあえて選び、その仕事をねじ伏せる。



人があきらめたとしても、自分だけはあきらめない。
こうした圧倒的努力は、当然のことながら苦難を極める。




つらさでのたうちまわり、連日悪夢にうなされることもしばしばだ。

だが、僕は圧倒的努力をやめない。



覚悟を決め、自分がやるべき仕事と対座する。



憂鬱でなければ、仕事じゃない。




毎日つらくて、毎日憂鬱な仕事をやりきったとき、結果は厳然とあらわれる。


この世には2種類の人間しかいない。




圧倒的努力を続ける人と、途中で努力を放棄する人だ。


苦しくても努力を続ければ、必ずチャンスは巡ってくる。
死ぬ気で努力するから、大きなチャンスをこの手でつかめるし、圧倒的努力が10重なったとき、初めて結果が出るのだ。


「もうダメだ」からが本当の努力である。


圧倒的努力ができるかどうかは、要は心の問題なのだ。
どんなに苦しくても仕事を途中で放り出さず、


誰よりも自分に厳しく途方もない努力を重ねる。
できるかできなかいかではなく、やるかやらないかの差が勝負を決するのだ」




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圧倒的努力は足りてるか。

常に自分に言い聞かせて指導にあたる。
人から無理だと言われても自分だけは信じて貫く。


50分の挑戦を人は笑うだろう。



でも「もうダメだ」からが本当に本当の努力であり、
勝負だと最近強く思う。





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